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父を亡くして #
02,Oct,2007 Tuesday - 09:33 # |
2007年10月2日、父を亡くした。

書類上は午前2:36の死亡だったが、母から電話連絡を受けたのが午前1:50頃。
その母も巡回の看護士に寝ているところを起こされて気が付いた事なので、実際は午前1:30~1:40くらいだったのではと思う。

書類なんて結構いい加減なものだ。

父は、一度癌の手術をしていて2年間の検査通院をしていた。

2007年5月に転移が発見され、もう治療できないということで病院を追い出された。

何の為の2年間だったのか。
何の為の検査技術なのか。

まだまだ、医療なんてそんなレベルだということかも知れない。


生前、父はどんな人間だったか。

いろいろと家族に迷惑や心配をかけた。
理屈っぽく、凝性であった。
お節介な程に人にものを教えるのが好きだった。
酒やたばこが好きだった。
偏った意見を嫌い、常に公平さを心がける人だった。
礼や褒めることを知らなかったが、闘病生活が始まってから「ありがとう」と礼を言いながら手を握り、褒めることの大切さをノートに書き残した。
音楽が好きで、ジャズが好きだった。
競馬が好きだった。


私と父を結ぶキーワードはとても少ない。
そんな少ないキーワードの中に "競馬" というキーワードがある。

私も競馬が好きだが、父から競馬を教わったことが一度もない。
買い方も全然違うし、軸になるような馬は重なった事がない。

入院生活に入ってから、私は父の見舞いをほぼ毎日欠かさなかった。
そんな中、一度競馬を理由に見舞いを休みたいと言ってみた。
不謹慎で、何ともわがままな常識知らずの問いかけだった。

父は快諾した。
「俺の馬券も買ってくれ。」が条件だった。
私はもちろん快諾した。

病室の中で父は必死に予想していた。
体力の低下でペンも上手くすすめられず、薬の影響で頭の働きも鈍い。
しかし、その姿は決して病人には見えなかった。



場所は札幌競馬場。
2007年9月2日、第43回札幌競馬場の舞台だ。

私の競馬場デビューは父に連れられての札幌競馬場だった。
1976年の第12回札幌記念。
皐月賞馬のトウショウボーイ、ダービー馬のクライムカイザーが出走し、今も破られていない入場者数60,549人を記録した、あの札幌記念だった。
あれから31年も経ったのだ。



私は、この開催を、新しい予想法を試す機会としていた。

当日の札幌記念の私の軸馬は1枠1番フサイチパンドラ。
自信があった。

父の買い目の連絡が母からあった。話せない父の代わりだ。

軸馬は同じフサイチパンドラだった。

軸馬が同じだなんて、記憶にないことだった。
不思議な感覚だったことを覚えている。

相手は、
1枠2番ブリットレーン
2枠4番ディアチャンス
3枠5番エリモハリアー
5枠9番サクラメガワンダー

後から、ブリットレーンは間違いだったと苦笑いして7枠13番マツリダゴッホを足した。


二人で馬券はハズした。
間違って、ブリットレーンが入っていればと笑い話を父とした。

だが、二人の軸馬は一番最初にゴール板を駆け抜けた。
生涯最後の父の予想と重なった軸馬。

まだ暑さの残る札幌競馬場は100周年記念を迎えていた。


この予想法で行った予想を公開しようと思う。
何かそうすることが父の供養にもなるような気がした。
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